太平洋の見える町から、四季の移り変わりを伝えます。


by hita-17

お別れ会

9月17日、日立生と死を考える会の会長を務めていたKさんが亡くなりました。難病を患っていました。高萩市に住み、クリーニング店を営んでいましたが、病気のことがあり、娘さんが住む千葉に引っ越していました。双子の娘さんで、長女は、結婚し千葉に住んでいました。次女は、東京で仕事をしていました。次女が、マンションを買おうとしたとき、両親と一緒に住もうと、長女の近くに中古の住宅を見つけたのでした。8月に千葉の家を訪ねお会いしたばかりでした。お元気そうでしたが、肺の病気なので時々辛そうな呼吸をしていました。

Kさんは、朗読の会「芙蓉の会」でご一緒していました。毎夏、日立生と死を考える会の主催で「メモリアルコンサート」を開いて下さっていました。昨年は、母のパッチワークを展示してくれました。

ご夫婦で参加の「芙蓉の会」でしたが、病気をしてからは、奥様だけの参加が続いていました。それでも、昨年は、「メモリアルコンサート」にご主人も朗読で参加しました。

9月18日に訃報の知らせを受けましたが、通夜は22日、お別れ会は23日でした。22日、芙蓉の会で一緒のOさんと私の車で向かいました。18時から始まるので、13時半に自宅を出ましたが、思ったより時間がかかり、千葉の佐倉市に30分前に着きました。

通夜と告別式を22日に行い、23日は、「お別れ会」とのことです。会場には、写真を趣味にしていた、Kさんが撮った写真と家族の楽しそうな写真が展示されていました。
22日にお坊さんがお経をあげ、焼香しました。弔辞は、麗澤大学の水野治太郎先生からの文を代読していました。日立生と死を考える会を立ち上げるときに、先生にご相談してから、20余年になるとのことです。

私も、水野先生の講演を聞いたことがありますが、自愛のあるお話でした。

親族代表の挨拶は、妻のMさんでした。1週間前に入院して最後まで、好きな食べ物・音楽・DVDを見てからの最後だったと知りました。

23日の「お別れ会」は、水野先生の弔辞からはじまり、現在の日立生と死を考える会の会長であるYさん、日立生と死を考える会の事務局のKWさん、「メモリアルコンサート」で切り絵の展示とギターの弾き語りをし、Kさんの朗読の原稿を書いていたKYさんの順に思い出を語りました。次に「芙蓉の会」のOさんが、高村光太郎の「檸檬哀歌」を私が鴨長明の「方丈記」を朗読しました。その後、在りし日のKさんの朗読する映像が流されました。本当に、惜しい方が亡くなりました。67歳では、これからまだまだやりたいことがあったでしょうに……
by hita-17 | 2015-09-30 22:40 | 日記